徳島地方裁判所 昭和30年(行)1号 判決 1956年5月02日
原告 石原静雄
被告 橘町
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、被告が起業者として施行する橘町都市計画街路事業による原告所有の別紙その一記載の土地の収用並に地上物件の移転料その他の損失の補償に関し、昭和二十九年十二月一日徳島県土地収用委員会がなした損失補償額金百八十一万七千九百七十円との裁決を金千百四万三千六百三十五円と変更する、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として被告は起業者として都市計画法に基き橘町都市計画街路事業を計画し、昭和二十九年五月十九日事業決定の告示があり、同年六月八日徳島県知事は収用しようとする原告所有に係る別紙目録その一記載の土地の細目を公告した。被告は右公告後土地の収用及びこれに伴う地上物件の移転料等に関し、原告と協議をなしたが不調に帰したため、被告は土地については損失補償金三十四万四千九百三十五円、地上物件の移転料その他の損失の補償として金八十四万千五百三十円、以上合計金百十八万六千四百六十五円をもつて収用すべく、徳島県土地収用委員会の裁決を求め、同委員会は審議の結果昭和二十九年十二月一日前記損失補償額を百八十一万七千九百七十円と決定し、原告はその旨通知を受けた。しかしながら右補償額は土地の価格と地上物件の移転経費等を僅少に見積つたに過ぎず(なお土地地積も過少に計算しあり)、精神的補償については全くふれていない。一体収用土地の損失補償額を決定するには近傍類地の売買価格が最も良い参考資料として考慮さるべきもので、原告所有地附近では土地の価格は一坪当り一万二、三千円を相当とするに拘らず、被告は原告に対し一坪当り僅かに七千円しか見積つて居らず、又家屋については移築費用として少くとも坪当り三万円を要するに拘らず、被告は僅かに一万円しかみていないのである。更に精神的補償について述べれば、そもそも被告が起業者として計画せる本件街路事業の遠因は所謂那賀川電源開発に端を発し、将来工場誘致の必要上、道路拡張の必要に迫られて計画されたものであるから、原告の境遇は現在那賀川電源開発事業のため、完全収用を受けつつある関係市町村内の被収用者と同一である。その起業者の徳島県が執りつつある収用方法は収用土地、移転物件に関する直接価格並に物質的経費の補償に止らず、感謝料、協力料等の名義をもつて精神的損害の補償をなし、円滑な収用手続を進めている。然るに被告がこれと異り、精神的補償について全然なすところがないのは原告に対する現実の認識を欠き、一般的妥当な補償義務を没却した不当な処置で原告の承服し難いところである。そもそも原告家は本件土地に二百九十五年余以前の寛文年間に居を構え、爾来子孫継続して現在に至つたが、原告及びその家族は同所を生活の本拠となし、家業は明治三十年頃より終戦に至るまで運送業を経営し、終戦前後企業整備によつて菓子卸小売商に転じ、毎月約五万円の収入を得て生活の安定と旧家としての誇りを保持して来たのである。然るに本件土地収用によりその生活の本拠を失い悲嘆に暮れている。以上の事情を勘案し、相当の物質補償は勿論、精神的損害に対する補償をなすべき義務あるものというべく、その法的根拠は土地収用法第八十八条に求めるべきである。同条に所謂通常受ける損失とは精神的損害をも包含するものと解する。原告が要求する物質的精神的補償額は別紙その二記載のとおりである。よつて本件収用委員会が裁決した損失補償額百八十一万七千九百七十円を千百四万三千六百三十五円と変更する旨の裁決を求めると述べた。
(証拠省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中被告が起業者となり都市計画法に基く橘町都市計画街路事業として西浜久保線の拡張を計画し、昭和二十九年五月十五日事業決定の告示があり、同年六月八日土地細目の公示があり、原告所有の別紙その一記載の被収用物件につき該当地として土地の収用及びこれに伴う地上物件の移転等に関し、その損失補償額の協議申入れをなしたが不調となつたため、被告において土地収用損失補償金三十四万四千九百三十五円、地上物件の移転料その他損失の補償金八十四万千五百三十円、合計金百十八万六千四百六十五円と定めて徳島県土地収用委員会に裁決を求め、同委員会は審議の結果昭和二十九年十二月一日損失補償額を合計金百八十一万七千九百七十円とし、その収用の時期を昭和三十年一月二十日とする裁決のあつたことはこれを認めるが、その余の事実はこれを否認する。徳島県土地収用委員会の裁決は正当なもので、これを変更する理由はない。(イ)土地について。本件土地は本町の中央部やや西寄りに存しその北部は国道高知、徳島線に面するが、その東南方は本町西浜線に面し、総坪数八十八坪三合一勺は同一価格ということはできないのであつて、売買実例においても、諸種の状況に基く鑑定価格においても一坪当り七千円を超えたことはない。本事業において原告所有地に西隣する訴外黒田太平の所有地の買収価格は国道に面する箇所につき坪当り五千円、その他は三千円である。又原告所有地の南側谷藤吉の所有地は坪当り二千五百円である。(ロ)家屋及び工作物について。本件家屋の内国道に面する住宅用の建物はその材料においても今後の使用年限においても可成り耐久力あるものと認められるが、その余の建物は朽廃状態にあつて、殆んど価値なく、若しこれを解体するときは廃材の価値しか有しないのである。これらを参酌すれば前記収用委員会の裁決による移転損失補償金百十一万千八百円はむしろ高きに失する。(ハ)営業損失について。原告のなす菓子小売業は昭和二十八年十月頃開業した極く小規模な小売店であつて近隣類似業者の営業所得と比較するも原告の主張する如き収入は絶対にあり得ない。(ニ)精神的補償について。被告の起業は都市計画法に基くものであつて、那賀川電源開発とは何等関係のない事業である。橘町は昭和十年九月十日都市計画地域に指定せられ、その当時すでに本事業の計画がなされていたのである。電源開発事業については閣議の決定により特別な補償をなしたが、それは国策である電源開発促進のためであつて他の一般公共事業に適用せらるべきものではない。のみならず、本件の損失補償額は十分なものであつて、原告はこれにより従前より以上に住居及び営業を回復することができるのであるから、それ以外に何等の精神的苦痛はあり得ず、原告の要求する過大な精神的損失補償は失当である。民法の規定によれば、私権は公共の福祉に従うとあつて、原告が起業にかかる都市計画街路事業は町民多年の要望に基く町将来の発展のため必要欠くべからざる公共事業であるから、原告としては進んでこれに協力すべきであり、あくまで過大な要求をなして前記公共事業を阻止せんとするのは遺憾であると述べた。
(証拠省略)
理由
被告が起業者として都市計画街路事業那賀郡橘町字西浜町道西浜久保線の拡張工事を計画し、昭和二十九年五月十九日事業決定の告示があり、同年六月八日土地細目の公告があり、被告は右公告後原告に対し、土地所有権取得のため協議を求めたが、不調に帰したため、徳島県土地収用委員会に裁決を求め、同委員会は同年十二月一日右土地収用の裁決をなし、収用土地の補償金額を一坪当り七千円、八十八坪三合一勺にて六十一万八千百七十円、地上家屋解体移転の補償金額を百十一万千八百円、休業補償金額を六万円家財道具運搬費一万円、移転再築までの間における借家捜索費三千円、仮住居費一万五千円を補償するを相当として以上合計百八十一万七千九百七十円をもつて本件土地収用並にこれに伴う地上物件移転料その他の損失補償金額と決定し、該裁決書の正本が、その頃原告に交付されたことは当事者間に争なく、その交付を受けた日から三ケ月以内たる昭和三十年一月十四日本訴が提起されたことは記録上明かである。そこで先づ、本件土地の収用金額即ち裁決当時における右土地の相当価格について検討する。検証の結果によれば、本件土地は橘町の中央商店街をやや西に外れ、その西北は国道高知、徳島線に面し、南東は海岸線沿の町道に面する細長い宅地で、国道側においては商店が軒を並べているが、それも本件土地附近までであつて、それより南は家屋は建並んでいるが、漸次商店は少くなつている状況にあることを認め得べく、右認定と成立に争ない乙第二号証の三、四、同第四号証の一、二、証人岡部成吉の証言により成立を認める乙第七号証及び証人谷藤吉、同岡部成吉、同花岡善三郎の各証言を綜合すると、本件土地の収用裁決時期である昭和二十九年十二月一日における補償価格は坪当り七千円と認めるを相当とする。なお証人谷藤吉の証言によると橘町においては坪当り一万円とか一万二、三千円で売買した実例は従来はなかつた。最近売気に出ている土地で坪当り一万円から一万二、三千円というのは都市計画の完成を見越しての相場であることが認められるから裁決当時を標準とすれば、附近土地の実際における売買価格の実例をもつてしても、本件収用土地の相当価格に関する前記認定を覆すことはできない。なお原告は本件土地の地積も過少に計算してあると論難するけれども、前記乙第七号証によれば本件収用土地の実測面積は八十八坪三合一勺なりと認めるを相当とする。次に地上物件の移転料について考えるに、検証の結果によると本件地上家屋工作物は国道に面した二階建店舖部分を除き、その他は相当朽廃しこれを解体すれば廃材としての価値しか有しない部分も少くないことを認め得べく、右認定と成立に争ない乙第三号証により真正に成立したと認める乙第二号証の一、二、鑑定人青木兵次郎の鑑定の結果を綜合すると、土地収用委員会が地上物件の移転料の補償として総額百十一万千八百円と裁決したのは相当であると認める。次に検証の結果によると本件店舖は主としてキヤラメル、飴玉、煎餠等を主とした小規模な菓子小売店と認めるを相当とすべく、証人矢部昭の証言、原告本人訊問の結果の各一部を綜合すると原告は昭和二十七年頃から娘婿の矢部昭なる菓子商の出張所というような形で同人から干菓子類の卸しを受けて販売しているもので、原告自身としては営業に伴う納税実績のないことを認め得べく、以上認定に証人藤倉賢治の証言を参酌すると、移転に伴う営業上の損失その他通常受ける損失に対する補償として収用委員会が移転に伴う休業補償金六万円、家財道具運搬費一万円、移転再築までの間における借家搜索費三千円、仮住居費一万五千円と定めたのは相当と認める。最後に原告の主張する精神的損失についての補償であるが、土地収用法第八十八条に所謂通常受ける損失とは、財産上の損失を意味し、精神上の損失を包含しないものと解する。蓋し土地の収用又は使用により精神上の損害を生ずるのは土地所有者又は関係人が、当該土地につき特殊な愛着の情を有するとか、その他特段の事情ある場合に限るべく、かかる損害は通常生ずる損害とはなし得ないからである。なお那賀川電源開発に伴う被収用者に感謝料協力料等の名義で精神的損害補償をなしたとしても法律上これと関係なき本件において直ちに同一の結論を採り得ない。
以上の次第で本件収用委員会が定めた補償金は正当でありこれを過少としてその変更を求める本訴請求は失当として棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小川豪 宮崎福二 高木積夫)
(別紙省略)